歌舞伎は知っていることが前提(。´・ω・)?
先月楽しんだ八月納涼歌舞伎。
先月、初の歌舞伎を楽しんだワタシ達夫婦なのだけれど、ちょっと思ったことがある。
どうやら歌舞伎の公演とは、観客は知っているということを前提として行われるもののようだ。
この先のストーリー展開にドキドキする・・・とかそういうことでなく、あらすじ等は当然全て知った上で、演じる役者の表情や動き、演出・・・そういう諸々含めたこの公演の一期一会を楽しむというのが、きっと・・・正しい。
先月観たのは東海道中膝栗毛。
十返舎一九。お馴染み弥次喜多コンビの珍道中。その程度だけれど、さすがに知らぬ話ではない。
知ったストーリーなのだけれど、それでもイヤホンガイドから流れる情報に「ヘェ~」と思ったケースも色々と・・・。「この場面は、近松門左衛門作の人形浄瑠璃『女殺油地獄』のパロディーで・・・」とか「義太夫」についての蘊蓄などなど・・・。
このイヤホンガイドがなかったら、笑いが起きたあの瞬間・・・きっとポツンと取り残されていたであろうと思う場面もいくつかあった。
うむ。
歌舞伎についての様々な知識が、歌舞伎をより一層楽しく見せてくれるのに、間違いはないだろう。
菅原伝授手習鑑「寺子屋」
秀山祭九月大歌舞伎。
夜の部のチケットを手配した。
第一幕は、寺子屋という演目だ。
もちろん、ワタシには何の予備知識もない(T_T)/~~
勉強せねば・・・。
いろいろ調べる中で、見つけたコチラのブログ。
とても分かりやすくて、勉強になります。
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以下は、殆どこのブログからの受け売りです。
エェ、パクリですとも( ̄ー ̄)
菅原伝授手習鑑「寺子屋」
せまじきものは宮使えじゃなぁ・・・これは、この「寺子屋」の中の台詞。
背景
□藤原時平(ふじわらのときひら)
左大臣。帝に嘘を吹き込んで右大臣だった菅原道真を九州太宰府に左遷させた。
□菅原道真(すがわらのみちざね)
学問の神様。天神さま。
「寺子屋」は、道真を拝する者達が、道真の息子である秀才(しゅうさい)様を必死で守るストーリー。
主な登場人物
□武部源蔵(たけべ げんぞう)
かつては道真の一番弟子。現在寺子屋を経営。
□戸浪(となみ)
源蔵の妻。
□菅秀才(かんしゅうさい)
道真の息子。源蔵の寺子屋にいる。
□春藤玄蕃(しゅんどうげんば)
菅秀才さまの首を取りに来た役人
□松王丸(まつおうまる)
同上
あらすじ
道真一族の血統を根絶やしにしようとする悪人「時平」は、道真の息子の「秀才」さまを捜し出して殺そうとしている。
かくまっているのは武部源蔵。
庄屋さんに呼び出されて「秀才さまがいるのはもうバレてるから、ふみこまれる前に自分で首を打って渡せ」とプレッシャーをかけられる源蔵。
そう言われても、せまじきものは宮仕え、困った。
家では寺子屋の生徒たちが並んで手習いをしたりいたずらをしたり。
さて、戻ってきた源蔵は、教えている子供達のだれかを身代わりにしようと考えるが「いずれを見ても山家育ち」。この垢抜けぬ首では・・・使えない。
そこに出てきて挨拶する、新しく入った男の子。
見るからに育ちのよさそうな、品のいい美少年。
源蔵、これは、使える!・・・と。
時代や当時の文化を・・・ひと言
誰かの身代わりに別の子を殺すなんて、現代ならば、完全にアタマおかしいけれど、当時の封建的な社会でのマトモな感覚では、当然・・・やる!
忠義という点でいえば、これこそが「正義」。
というか源蔵にちょうどいい息子がいれば、迷いなく我が子をその手にかけるだろう。「関係ない子供だから平気で殺すんだ、勝手なヤツ!」というのは、ちょっと違うわけです。
さて、そうこうするうちに、
「首斬ったか?本物かチェックして、本物なら持って帰るぞ」と言って、「時平」からのお使いがやってくる。
春藤玄蕃と松王丸。
それを知った村の衆が慌てて子供達を迎えに来る。
子供は全員チェックするが、新しい子供までは気付かない・・・?
ん?・・・玄藩が何かに気付いた様子。
「机の数が合わない。」とか言い出すが・・・。
なぜかフォローにまわる松王丸。
二人を待たせて源蔵、奥で子供の首を斬り・・・。
身代わりの首を首桶に入れて出て来る。
本物かどうか、松王丸が確認を。
松王の首実検。
「秀才様の首だ」と言い切る松王。
首持って、お使いふたり帰ります。
バレたら松王と玄藩を斬って、秀才さまを連れて逃げる決死の覚悟だった源蔵、ほっと安堵。
・・・・・。
やがて・・・子供の母親の千代が、子供を連れに戻ってくる。だが、子どもは殺してしまったので、仕方なく母親も斬ろうとする源蔵。
・・・・・何と!
千代が「息子の首は役に立ったか?」と爆弾発言。
驚く源蔵。
外から松の枝が投げ込まれ、葬式用の白装束を纏った松王丸が再登場。
死んだ子供は、実は松王丸の息子。
身替り首にできるように松王丸があらかじめ送り込んだというのが真相だった。
結果、松王丸は味方だったという・・・。
松王丸についてのあれこれ。
どうだろう?
こういった予備知識で歌舞伎の見え方が変わるのは明らかだろう。
松王が菅秀才の首を確認する場面など涙が止まらない。わが子の首を「秀才様の首だ」と(T_T)
わが子を身替りに差し出した松王丸が、表面的には憎々しく振る舞いながら、内心うまいこと息子は役にたったか心配でしかたがなかったり、春藤玄藩が細かいところに突っ込もうとしたら必死でフォローしたり、そういう、見た目とうらはらな内心が見え隠れする、心理劇的にハラハラする部分になります。(歌舞伎見物のお供より)
因みに、この松王丸について調べてみると、更に公演を楽しめる情報が。
梅王丸、松王丸、桜丸という三つ子のひとりである松王丸。
百姓の子なのだが、三つ子はめずらしいので縁起がいいと「菅原道真」さまに取り立てられ、それぞれ身分の高い人の牛飼い舎人にしてもらう。
梅王丸は、菅原道真
桜丸は、天皇の弟の齋世親王
松王丸は、藤原時平
この高貴な方々の人間模様はと言うと・・・。
ごく簡単に言えば、悪人の時平がほかの二人を罠にはめて困らせている。
だから三つ子の兄弟も敵味方に別れてという運命。
可哀そうな松王丸は、時平の家来なので悪役側。
ずっと悪役として行動しているが、実は道真ともつながりがある。
この「寺子屋」で首実検に来たのも「道真にかわいがられていて、秀才さまの顔を知っているから」というわけなのだ。
梅王丸や桜丸は「いくら家来だからって時平は悪いヤツなんだから、こっちの味方しろよ!」と松王丸に腹を立てている。
さらには・・・、
梅は飛び 桜は枯るる 世の中に
などてか松の つれなかるらん
という歌を道真が詠んだのを受けて、みんな「松はつれない」と悪口を言う。
でも・・・「などてか松のつれなかるらむ」とは、実は反語表現だから・・・。
「どうしてつれない(冷たい)ことがあるだろうか、いや、本当は冷たいことはない」と言っていて、つまり道真は松王丸を信じている。
実は、松王丸もずっと自分の心底を隠して時平に味方するフリをしながら、恩のある道真の役にたてる日を待っていた。
・・・・・。
こんな背景がわかると、なんとも切ない(T_T)/~~
松王丸のわが子を失った悲しみ、やっと道真への恩を返せた喜び、ここまでの苦しみ・・・そんなことを思うと、やっぱり泣けてくる(T_T)
こういったことを知った上で、味わう歌舞伎。
いやぁ・・・オペラグラスを買おう。
松王の表情、ロックオン!
武部源蔵という人
「歌舞伎見物のお供」より
もうひとりの主人公、武部源蔵は、ここでは忠義一途な地味な役ですが、奥さんの戸浪(となみ)との、今で言うと社内恋愛がバレて道真に勘当された、それなりに浮いた過去のある男です。
ただのマジメ君ではなく、バイタリティーがあり、秀才さまのためなら危ない橋も平気で渡ります。
そういう「酸いも甘いも」的な大人の男の奥行きが出ると、松王と「がっぷり四つ」な緊張感がよく出るのだろうと思います。
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