歌舞伎の多くの演目は、観客がわかっていることを前提として演じられます。
その点で、今後の展開を予想したりして楽しむテレビドラマなんかとは根本的に違うんですね。
しかも、長い長~いストーリーの一部だけを切り取って公演することが多く、背景の説明がある場合でも通常は浄瑠璃で語られるので初心者の方にはおそらく聞き取れません。
初めての歌舞伎鑑賞では、余程わかりやすい演目を選ぶか、しっかりと予習した上で観劇することをおススメします。
さて、今回の「義経千本桜」。
源平の戦が終わった直後。
源義経(よしつね)は、平家との戦いで様々手柄を立てたものの兄である源頼朝(よりとも)との関係は最悪で、疑心暗鬼やら何やらあって、遂には命を狙われるということになっちゃいます。
そんな義経の逃避行を描いた物語・・・と見せかけて、実はその周辺の人々がそれぞれの場でとっても魅力的に活躍(?)するお話がこの義経千本桜・・・だとボクは思います。
また、これはあくまで物語。
史実を下敷きにしつつも、すべてを忠実に描いているというわけではないようです。
義経千本桜【初段】
大序・院の御所の場
屋島の戦いで平家が大敗を喫した後のこと。
後白河院の御所に参内し、合戦の様子を物語る義経。
※戦で活躍しても兄である頼朝は褒めてくれない。そんな中、可愛がってくれる後白河院と義経の距離は近くなってます。
義経には褒美として初音の鼓が与えられる。
これ、実は義経が前々から欲しがっていた鼓。霊力のある狐の皮で作られていて、雨乞いに絶大な威力を発揮するという。
根っからの戦人である義経は「これを使って戦のときに天気を自由にあやつれたら有利だろうな」とか思ってる。
※この鼓は物語の結構重要なアイテム。静御前の雨乞いエピソードなんかも踏まえて描かれてるのかな?というのはボクが勝手に思っているだけなんだけど。
さて、鼓をもらえたのは嬉しいけれど、ここで左大将藤原朝方(ともかた)が言う。
※こいつは嫌なヤツ!
「これは兄頼朝を討てという院宣だ!」
鼓の革を頼朝になぞらえ、「打つ」と「討つ」を掛けていると言うのだけれど、院は既に退席していて確認のしようもない。つまりは朝方のでっち上げなんだが・・・。
義経は困惑するが、最終的には「この鼓は打たなければ(討たなければ)よい」と、初音の鼓を拝領する。
だって欲しかったんだもん。
※でも、ちょっと嫌な予感。
院の本音は、藤原氏の力を削ぐことに成功し、平家も滅び、あとは源氏を弱体化させれば・・・というところだったのかもしれません。そのために義経を検非違使(警察官&裁判官みたいな役職)に任命して頼朝と義経の対立関係をうまく演出しました。
しかし・・・。
その後、頼朝追討の院宣を義経に出した後白河院。当然頼朝は大激怒し、義経を捕まえるべく守護(警察)と地頭(税金)の任命権を後白河院に求め、後白河院はそれを承認するしかなくなってしまいます。その結果、義経は奥州藤原氏の拠点である平泉に逃げ込み、時の当主であった藤原泰衡の裏切りによって衣川の館で自害します。
天皇家の力を高めたかった後白河院ですが、結局は政治に関する権限のすべてを頼朝に渡すことになってしまったのです。
北嵯峨庵室の場
北嵯峨に尼がひとり住む草庵がある。
平維盛(これもり)の奥方若葉の内侍(ないし)は、息子の六代君(ろくだいぎみ)と共にここに隠れ住んでいる。
内侍は夫維盛は既に亡き者と思っていた。
義理の父である平重盛の絵姿(肖像画)を見てしんみりと「維盛さまにそっくり」とか言ったりする内侍。
つまり、維盛は平清盛の孫なのです。
ちなみに、清盛の後継者と見られていた重盛は若くして病死しています。
重盛の絵姿を見て「そっくり」というこの場面は、後の「鮨屋の場」への伏線となっています。
そこに、見回りの徒歩(あるき)がやって来る。
最近この辺りも風紀が悪くて隠れ売春とかあるそうだから・・・と。
※徒歩は巡回の監視員ね。
二人を隠れさせて、主の尼が適当に追い返す。
・・・・・。
さらに今度は「菅笠(すげがさ)売り」がやって来る。
この笠売りが実は家来の主馬の小金吾(しゅめのこきんご)だった。
小金吾が言う。
「維盛さまが生きているらしい。熊野にいるようだから、六代君を連れて行って会わせてあげましょう。」
喜ぶ若葉の内侍。
「一緒に行きますっ!」
・・・・・。
と、そこに内侍を捕えようと追っ手がやってくる。先の徒歩が実は朝方の手先だったのだ。
ここは小金吾が一芝居打ち、まんまと騙され出て行く追っ手たち。
そして残った奴らを小金吾がやっつける。
内侍と六代君は小金吾と熊野へ向かう・・・。
堀川御所の場
義経の京の住い堀川御所。
この日は宴が開かれ、元気のない義経と正室の卿の君(きょうのきみ)を励まそうと、義経の愛妾である静御前(しずかごぜん)が舞を舞ったり・・・。静御前と卿の君は愛人と正妻なのだけれど仲良し。この時代は・・・そうなのかね?
院の御所で藤原朝方に悪態をついた弁慶(べんけい)は、義経に叱られ謹慎処分中だったのだけれど、卿の君と静御前のとりなしで許されたところ。
そこに、良くない報せが入る。
義経を攻めるため、鎌倉から土佐坊昌俊(とさのぼうしょうしゅん)と海野太郎行長(うんのたろうゆきなが)が上洛した。五条に逗留中だと言う。
同時に、頼朝の遣いで川越太郎(かわごえたろう)が義経の館にやって来た。
頼朝の命令で、三つの不審な点を直接義経に確認しに来たらしい。
一つ。
鎌倉に届けられた平家の武将(知盛、維盛、教経)の首がニセモノだったこと。
実はこれはその通りで、義経は彼らが生きていると知りながら「死んだ」と嘘を言っちゃってる。しかも知盛と教経は平家の中心的な総大将で、維盛もとても人望があり慕う者の多い重要な武将。
そりゃ頼朝が怒るのも無理ないんだ。
(義経の言い分):今は源氏の世になったが平家の残党もまだ多い。影響力のある三人が生きているとなれば、平家を勢い付かせてしまう恐れもあるから、表向きは「死んだ」と言っておく方がいいのだ。今、部下の伊勢三郎や片岡八郎たちに探させているから大丈夫。
二つ。
頼朝を討てとの意を込めた初音の鼓を後白河院より受け取ったこと。
これは朝方がでっちあげた上で、わざわざチクってる。こいつはホントに最低のヤツなんだ。
(義経の言い分):院宣に背くわけには行かぬから受け取ったが、打つ気はないし触れてもいない。
平伏して感心する川越太郎。
ここまでは、良かったのだが・・・。
最期の三つ目。
敵である平時忠(ときただ)の娘を妻としたこと。
そう。卿の君は敵の娘なんだよね。
敵側の娘を嫁にするとは、源氏に反旗を翻すつもりだろう・・・と。
まぁ、確かにそうなんだ。
ただし、この義経千本桜のストーリー中では、時忠の娘である卿の君は川越太郎の娘でもあるというなんとも無茶な設定になっています。
何それ???
でも、実は卿の君はこの川越太郎の娘。
で、平時忠の養女になっていただけだから、実はやましいところは何もない。
(義経の言い分):平家の女を妻にすることが咎められるというのなら頼朝の舅北条時政も平氏。まして卿の君はあなた(川越太郎)の娘であり、それを時忠が養女に貰い受けただけではないか。
義経的には、当然そうなる。
だがここで難しいのは、川越太郎の立場だ。
疑心暗鬼の頼朝にそんな話をしたら、きっと「義経が娘の旦那だから庇うんだろう!」と川越太郎自身が疑われかねない。
・・・・・。
さて、どうする?
仕方なく、腹を切ろうとする川越太郎。
※そういう時代です。
そして、それを止めて・・・。
なんと!
卿の君が・・・自害してしまう。
※そういう時代なの。
・・・・・。
卿の君には気の毒だけれど、これで一応問題は解決だ。
だが・・・。
そこに土佐坊一味が攻め込んでくる。
相手は兄頼朝の家来。
戦えば「やはりヤル気だなっ!」となってしまうから「怪我させないよう追い払え」と義経は命令するのだが・・・、それより早く、弁慶が大暴れを始めてしまう。
そして海野太郎を殺してしまう弁慶。
※もう、全部台無しだ(>_<)
こうなってしまうと卿の君の死はもはや何の意味もない。本格的な戦だけは避けようと、逃げることにする義経。
そんなこととも知らず、大暴れする弁慶。
※自分がしでかしたことの重大さに気づいていない。
あらかた敵を打ち倒し、意気揚々と義経の後を追って行く・・・。
義経千本桜【二段目】
伏見稲荷の場
伏見稲荷。
義経にようやく追いついた静御前が、自分も連れて行って欲しいと願い出る。
多武峰の寺に行く義経一行は、女を連れては行けぬと、静の願いは却下。
そこへ弁慶が追いつき現れる。
まったく何てことしてくれるんだ!
義経は扇で弁慶を散々に殴り、手討ちにしてくれると怒る。自分の過ちにやっと気づいた弁慶。気づきはしたが、だからといって主君の命を狙う者をそのまま捨ておけようかと涙を流し、静も弁慶を許すよう口添えして、今回ばかりは許す義経。
しかし静の同行は許されず・・・。
義経一行は多武峰に向うのはやめ、摂津大物浦より船に乗って九州へ向うことにした。
でもやっぱり船が難破したりとか危ないから、結局女は供に出来ないという。
泣きながら食い下がる静。
義経は、次に会うまでの形見にせよと初音の鼓を静に与える。
※どっち道打つわけにいかないしね。
それでも静は義経にすがりつく。
連れて行ってもらえぬなら自害する・・・と。
仕方なく鼓の調べ緒で近くの枯れ木に静と鼓を縛りつける。
これで自害もできまい。
出発前に参詣しようと境内に入る一行。
ここに、討手逸見藤太(はやみのとうた)がやって来る。
ふと見ると・・・。
縛られた美女。
しかも義経の愛人静御前だ。
初音の鼓まであるぞ。
よっしゃ!
喜ぶ逸見藤太。
※ハッキリ言って道化役の小者。
だけど、世の中そんなに甘くない。
どこからともなく屈強な武将が現れて一行を追い散らす。
母の病で出羽(秋田)に里帰りしていた佐藤四郎兵衛忠信(ただのぶ)だ。
彼はものすごく頼れる義経の家臣。
静は大喜び、参詣から戻った義経も喜んで忠信を褒め、そして静を守った褒美として、自分の鎧を与える。
更に自分の名「源九郎」も与え、今後は「源九郎義経」を名乗り、自分の代わりに静を守れと。
・・・・・。
別れを惜しむ義経と静。
義経退場。
悲しむ静。
そして、泣く泣く花道を退場していく。
残った忠信が、最後に退場する。
その動きはちょっと独特だ。
狐六方と言うらしい。
狐?・・・六方・・・。
渡海屋・大物浦の場
摂津大物浦の廻船業「渡海屋」。
宿に逗留中の厳つい僧が言う。
「風待ちで暇だから町で一杯飲んでくる。」
座敷を横切り、寝ているお安ちゃんをまたごうとしたその時。
「んっ!」
急に足がしびれて転んでしまう。
僧:「小さくてもおなご。男にまたがれるのが嫌で自分の足をつらせたのだろう。」
と言ってそのまま出かけるが。
何かに気付いた様子のその僧は・・・弁慶。
・・・・・。
渡海屋に、鎌倉から相模五郎(さがみごろう)がやって来た。相模五郎は義経を追うため、自分たちを優先して船に乗せろと言う。主の渡海屋銀平が留守で、女房のお柳(おりゅう)が断ろうとするが、相模五郎は横柄な態度でオレたちを先に乗せろと迫り、先約の者と直接話をつけてやると奥へ踏み込もうとする。
そこへ戻った銀平。
尚も無理をいう相模を力ずくで追い払う。
実は、その先約の客は九州に落ちて行こうとする義経一行だ。
兄頼朝に追われる己が身の上を嘆く義経。
銀平は義経に味方すると言い、今の相模が再び来てはいけないから、一刻も早く用意した船で出発するように勧める。義経たちはその言葉に従い、蓑笠を着て渡海屋から発っていった。
だが・・・。
渡海屋銀平とは実は合戦で討死したといわれる平知盛(とももり)だった。その娘のお安というのも実は入水したはずの安徳天皇、女房のお柳は実は安徳帝の乳母典侍の局(すけのつぼね)だ。
銀平こと知盛は安徳帝を掲げ平家の再興を目論んでいる。
まず手始めに自分の元へやってきた義経への復讐を狙っていた。実は先程の相模五郎も知盛の家来の一人で、義経一行を信用させるためにわざと仕組んだ芝居だったのだ。
・・・・・。
お柳:「そろそろ出発ですよ。」
謡(うたい)が入り、障子ががらりと開く。
そこには、白い狩衣に銀の鎧、銀の兜で登場する銀平。腕にはキレイな衣装に身を包んだ安徳天皇。
座敷に敷き皮をしいて座る安徳天皇。
戦はじめの杯ごとをして、謡に合わせて知盛がひとさし舞う。
♪~
安徳帝:「知盛、早う。」
知盛:「ハハッ。」
飛ぶがごとくに知盛退場。
・・・・・。
舞台は替わり・・・大物浦の場。
女房たちも安徳帝を抱いた典侍の局も、十二単(じゅうにひとえ)で座敷に並ぶ。
皆で戦の行方を案じている。
戦況の報告にやって来たのは、相模五郎。
その顔色はどうにも冴えない。
周到に準備した上での不意打ちの筈が、その企みに義経は気づいていたのだ。夜闇に紛れて義経の舟に奇襲をかけたはずが、義経側の戦準備は万端整っていた。
状況は・・・かなり厳しい。
驚く女房たち。
慌てて障子を押し開け海を見る。
沢山の船が並び、松明が灯っている。
出陣前、知盛は言った。
「味方の舟のたいまつが一斉に消えたら負けの合図。その時は・・・お覚悟召され。」
女房たちが見守る前で、たいまつが消える。
驚き騒ぐ女房たち。
そこへ新たな御注進が。
「もういけません。味方は壊滅。知盛さまは海に飛び込みました。みなさまもお覚悟を。」
頼りの知盛は・・・もう居ないのだ。
いつかは帝を盛り立てる日も来ると信じ、何とか帝を守ってきた一行。それもすべて知盛が居ればこそだった。
「今となってはお覚悟を。」
帝を連れて浜辺に出る。
事情のわからぬ安徳帝に・・・。
「この地上は源氏がはびこる恐ろしい場所だから居られない。海の底には極楽浄土があり、父上も母上も死んだ平家のみんなもいる。そこに行くのだ。」
と、悲しい説明を。
海の底に行くのは怖いと言う安徳帝だが。
安徳帝:あの恐ろしい浪の下へただひとり行くのかや。
典待局:この乳母がいずくまでもお供致しまするわいなあ。
安徳帝:そなたさえ行きゃるなら、いずくへなりとも行くわいのう。
安堵する安徳帝。
※切ない(>_<)
遠くに聞く戦の音。
もう・・・ダメだ。
先に行って道案内いたしますと、次々海に飛び込む女房たち。
そして・・・。
安徳帝を抱いた典侍の局。
・・・・・。
いざっ!
飛び込もうとしたところに武者達が現れる。
彼ら義経四天王が典侍の局を抱き留め、安徳帝共々無事保護する。
・・・・・。
後ろに大岩のある浜辺。
花道から出てきた白装束で血まみれの知盛が雑兵相手に暴れる。己の命に未練はないが、帝が心配で戻ってきたのだ。
戦いながら帝を探すが、力尽きて倒れ込む。
義経登場。
典侍の局と安徳帝も一緒だ。
義経を見た知盛は息を吹き返し、勝負勝負と詰め寄るが・・・。
義経は言う。
帝を守り続けた心は立派だが、もう諦めろ。
帝は自分が確実に守るから安心するがいい。
だが、知盛は納得しない。
帝を守るのは平家も源氏も関係ない。当然のことだ。
とにかく平家一門の恨みを晴らしてやると斬りかかる。
それを弁慶が押しとどめる。
※この段の弁慶はお坊さんの風情で弱そうだ。
腕ずくで止めるのは無理そうだから、数珠を首にかけて諭すけれど知盛は逆に怒り狂う。源平の争いはそんな簡単なものではないのだ。
ここで・・・。
安徳帝:これまで自分を守り、面倒見てくれたは知盛の情け、今自分を助けるは義経の情け。どちらも自分にとってありがたい大切な存在だから、義経を恨みに思うな知盛。
なんと(>_<)
典侍の局も言葉を添えて、平家方の自分が側にいては・・・と、義経に後を託して自害する。
典侍の局の帝を思う心に、戦う気力も失う知盛。
自分の命はもう尽きるが、死んだと見せてこれまで二年も生きてきたのは立つ瀬がない。「義経を襲ったのは知盛の亡霊だ」と人には言ってくれまいかと義経に頼む。
知盛:昨日の敵は今日の味方、アラうれしや心地よやな。
安徳帝:知盛さらば。
知盛:ハハッ!
今はもう恨みも消えた知盛。
帝を義経に託すと自分は大岩に登り、そこにある大きい錨の綱を体に巻きつけ・・・。
知盛:おさらば。
義経:さらば。
うずまく浪に大物の名は引汐にゆられ流れて、名は引汐にゆられ流れて、跡白浪とぞなりにける
義経千本桜【三段目】
椎の木の場
若葉の内侍、六代君、小金吾の三人は、平維盛の消息を尋ねに高野山へ向かっている。
長旅の疲れからなのか、内侍が体調を崩してしまい、吉野下市村の茶店で休んでいくこととなった。茶店にいたのは小せんという女性。六代君と同じ年頃の子どもがいるらしい。
小せんは気の良い女で、近くの薬屋へ薬を買いに行ってくれるという。その間は、内侍たちが店番だ。
・・・・・。
六代君が傍らの栃の木から落ちた実を拾って遊んでいると、風呂敷を背負った男がやってきて、これも茶店で休む。しばらく六代君の様子を見ていたこの男、「栃の実で遊ぶなら、木についているのを取る方がよかろう」と、木に向かって石つぶてを投げる。それに当った栃の実がばらばらと落ち、六代は悦んで栃の実を拾う。
やがて旅の男は茶店を立った。
あれっ!
小金吾が自分の降ろした荷をると、これは自分が背負ってきた荷物ではない。そういえばさきほどの旅の男が、よく似た荷物を背負っていた。あの男が自分の荷物と取り違えて持っていったのに違いない。
取り戻すために駆け出そうとする小金吾。
そこへ男が道の向うから大慌てで戻って来て、小金吾に荷を取り違えた粗相を詫びる。そして荷の中身に間違いが無いかどうか、互いに改めることとなった。
そこで、男は思いもよらぬことを言い出す!
自分の荷の中には二十両という大金が入っていた。それが今荷を改めるとその金が見当たらない。おまえが二十両の金をくすねたのだろう!
全く覚えのない小金吾。完全な言いがかりだ。
だが、盗っていないと証明することの難しさ。ましてや、身を隠していたい内侍と六代君を思うと・・・。なんとか穏便に済ませたいところだが、男はなおも悪態をつき金を出せと騒ぎたてる。
・・・・・。
堪え切れず、遂に刀を抜く小金吾。
だが、内侍がそれを止め、涙ながらに男の言う通りにというので、小金吾は悔しいながらも、金を地面に叩きつけ、内侍と六代を連れてその場を立ち去った。
男は「うまい仕事」といいながら金を拾い集め、さて博打場へ行こうとする。そこに戻って来た小せんが立ちはだかる。男の胸倉をぐいっと取って引き据える。
男はこの近在で釣瓶鮓屋を営む弥左衛門のせがれ、いがみの権太というチンピラだった。そしてこの茶店の小せんは権太の女房。小せんは少し前にこの場に戻り、権太が小金吾たちにたかるのを陰で見ていた。こんなことだから親の弥左衛門様からも見限られてしまっているのだ。小せんは常日頃「善太のためにも行いを改めてくれ」と言うのだが、権太は「そもそも今のようになったのも、もとは隠し売女だったお前に入れあげたのがきっかけだ」と開き直る始末。
※隠し売女は、遊郭ではなく素人売春宿みたいなところね!
権太はさらに親を騙して金を取りに行こうと考えている。
なんとかしたい小せんだけれど、本当にどうしようもない( 一一)
・・・・が。
「ととさまサア内にござれ」
傍らにいた善太が手を引くと、権太はその小さな手を優しく引いて、小せんと共におとなしくわが家へ帰るのだった。
さすがに、わが子は愛おしいのだろう。
小金吾討死の場
一方、若葉の内侍と六代君の追手はついにこの大和にまで及び、内侍たちは追われていた。すでに夜、藤原朝方の家来猪熊大之進が手下を率いて内侍たちを襲う!
が、小金吾は内侍たちを逃がし、大之進の手下たちを切り捨て、遂には大之進も斬り殺す。
しかし小金吾の傷も相当に深い。
なんとか敵の手を逃れた若葉の内侍親子とめぐり合うが、もはや到底助かるとは思えない。
ふたりの行く末を案じ、必死で「これからこうして、ああして」と言い置く小金吾。
※いや、人の心配なんて・・・もうアンタ死んじゃうよぉ。
「がんばって生きて、元服して、そのときわたくしの事をもし思い出したら、ささやかでいいので回向してくれればそれで充分です。」
今にも息絶えそうな小金吾を心配する二人。
このままだと二人が行かないから、小金吾は嘘をつく。
「大丈夫。少し休んだらまた会えるから。」
そして、遂に・・・。
・・・・・。
そこへ村の集まりからの帰り、提灯を持って夜道を歩む釣瓶鮓屋の弥左衛門は偶然小金吾の遺骸を見かける。見知らぬ若者のなきがらに念仏を唱え手を合わせて一旦は通り過ぎる弥左衛門だったが。
・・・・・。
何を思ったかその死骸のところへ立ち戻り、辺りを見回すと自分が差していた刀を抜く。
大きく振りかぶり・・・。
鮓屋の場
弥左衛門の釣瓶鮓屋。
※釣瓶鮨は桶で作る押し鮨。
女房と娘のお里が家業の鮓の商いに励んでいた。
お里は上機嫌、それというのも明日の晩には下男の弥助と祝言をあげることになっているから。弥助は弥左衛門が何処からか連れてきた男で、なかなかの美男子だ。
その弥助が帰宅して、お里はすっかり女房気取りで話しているところに・・・この家の跡取りダメ息子「いがみの権太」がやってくる。当然・・・父弥左衛門の目を盗んで。
懐から紙を取り出してちらりと弥助を見ると、何やら少し考える様子の権太。
・・・・・。
権太は「母親に話があるから奥へいけ」と、弥助とお里を追い払った。
母親は、権太がまた金の無心にでも来たかと眉をひそめるが、権太の口から出た言葉はちょっと違った。権太は別れの挨拶に来たという。代官所に納める年貢の金三貫目を盗まれ、年貢を納められなくなった。その罪で死罪になるのだという。
※やっぱり金をせしめようって魂胆かい!
そんなふざけた作り話を母親は真に受ける。
戸棚から三貫目の金を出すと権太に渡す。権太にとっては、してやったりだ。その金を空の鮓桶に入れて持っていこうとすると、ドンドンドン!・・・と激しく戸を叩く音。父親の弥左衛門の帰宅だ。
権太は慌てて(勘当同然の立場だし)、取り敢えずそこに並んでいる鮓桶の中に金を入れた桶を紛れ込ませて、戸口の辺りに身を隠す。
弥左衛門の帰宅に気づいた弥助が奥から出てきて戸をあける。弥左衛門は先程夜道で拾った(?)小金吾の首を空の鮓桶に隠し・・・下男の弥助を上座に座らせる。(・・???
実は・・・弥助は平重盛の子息三位中将維盛。
源平の合戦の後、熊野詣をしていた弥左衛門は維盛と偶然出会って、ここで弥助と名乗らせ匿っていたのだった。
弥左衛門は平重盛に恩があった。
平重盛がその昔、後生を頼むため唐土の育王山に黄金三千両を納めようとしたことがあった。そのとき瀬戸内で船頭をしていた弥左衛門が、この三千両を運ぶ役目を仰せつかったのだが・・・その三千両を丸ごと盗まれてしまうという大失態。腹を切っても償いきれぬこのミスは、やがて重盛の耳に届く。しかし重盛は、日本の金を唐土に送ろうとした自らこそ盗賊であると悔い、弥左衛門たちのしたことを不問に付したのだった。
弥左衛門はこの昔の恩義に、その息子の維盛を助けたのだった。
今、わが息子が「いがみ」などと呼ばれ、盗み騙りを働くのも、かつての自らの過ち故だろうと嘆く弥左衛門。
そこへお里が出てきて、弥左衛門は維盛を残して奥へと入る。
新婚気分でウキウキのお里だが、若葉の内侍や六代のこと(奥さんと息子ね!)を思うと維盛の気は晴れない。そんな維盛の様子に、お里は先に布団で横になり寝てしまう。
自分には妻子があるのに祝言なんて・・・と維盛が思い悩んでいると、外から一夜の宿を求める女の声がする。ここは宿屋ではないと一度は断るが、小さな子を連れているのでどうか助けてもらえないか・・・と尚も頼むので、直接断ろうと戸を開ける。
するとそこには・・・若葉の内侍と六代の姿。
思わぬ再会。
維盛は内侍と六代を招き入れ、積る話をするのだった。
だが・・・その話を聞いてしまったお里。
思わずわっと泣きだしてしまう。
驚き逃げようとする内侍と六代をお里はとどめ上座に直し、維盛のことは思い切ると涙ながらに告げる。内侍もその心根に涙する。
そこへ村役人がやって来て。
鎌倉の武士梶原景時が来るぞッ!・・・と。
慌てる維盛たちに、お里が上市村にある弥左衛門の隠居所に行くよう勧め、維盛たちはその場を発つ。
じっと隠れていた権太が、ここで飛び出して来る。それまでの様子を聞いていた権太は維盛たちを捕まえて褒美を手に入れよう考えたのだ。それを止めようとするお里を蹴飛ばし、三貫目の入った筈の鮓桶を持ちあとを追ってゆく。
・・・・・。
お里から話を聞いた弥左衛門は刀を差して家を飛び出した。
だが道の向うから、提灯をともした集団がやってくる。手勢を率いた梶原景時だ。
「ヤア老いぼれめどこへ行く!」
先だっての、弥左衛門が出ていた村の集まりとは、実は鎌倉から来た景時が維盛詮議のために村人を集めていたもので、そこで維盛のことを景時から聞かれた弥左衛門は、知らぬ存ぜぬで通していた。でも実のところ・・・景時は維盛がこの家にいることを既に掴んでいて、逃れられぬようわざと泳がせていたのだった。
維盛の首を討って渡せと弥左衛門に迫る。
すると弥左衛門は、維盛はもう首にしてあるという。
※例のアレ・・・ですな!
弥左衛門が夜道で小金吾の首を拾ったのは、この考えがあったからなのだ。
維盛の身替りの首を取り出そうと、鮓桶に手をかける弥左衛門。ところが弥左衛門の女房は、そこにあるのが自分が内緒で権太に与えた三貫目だと思っているから、桶を開けさせまいと弥左衛門を阻む。
※これは景時にとってはムッチャ怪しい!
「さてはこいつら云い合わせ・・・縛れ括れ!」と手下たちに命じるまさにその時。
「維盛たちを捕らえた!」と権太登場。
権太は縛りあげた内侍と六代、そして維盛の首を景時の前に出す。
維盛を捕らえようとしたが激しく抵抗したから殺さざるを得なかったという。
景時はその働きに免じて、弥左衛門が維盛をかくまったことは許してやるという。
「親の命はいらぬからほかの褒美がほしい」と権太。
ではこれをやろうと、景時は着ていた陣羽織を脱いで権太に与えた。これは頼朝公が着ていたのを拝領したもので、これを持って鎌倉に来れば、引き換えに金を渡してやる。そう言い残し景時は立ち去った。
・・・・・。
どこまでもろくでなしの権太に、弥左衛門の怒りが爆発する。弥左衛門は隙をついて、権太の体に刀を突き立てた。
苦しむ権太。
母親は悲しむが、それでも怒りの収まらぬ弥左衛門。
「こんなやつを生けて置くは世界の人の大きな難儀」と尚も権太を抉る。
・・・・・。
苦しみながら・・・権太が言う。
「親父、あんたの力じゃ維盛は救えない」
そして、弥左衛門が偽首を入れたはずの鮓桶をあけると、そこには三貫目が・・・。権太は自分が持っていった鮓桶の中身が生首であるのを見て、桶の取り違えに気づいた。これを維盛の身替りに・・・と、景時に差し出したのだった。
更に、縛って渡した内侍と六代は、自分の女房小せんと善太だった。
権太が笛を吹くと、それを合図に維盛たちがやってくる。
・・・・・。
でも・・・なぜ?
先程、身を隠していた権太は、維盛と弥左衛門の身の上を聞き・・・改心した。
そして偽首を持って出た途中、小せんと善太と出会う。
小せんは自分たちを内侍と六代の身替りとするよう自ら願い出たのだと語る。
これを聞いた弥左衛門。まともに「嫁よ孫よ」と呼べなかったことを激しく悔いるのだった。
維盛と内侍も涙。
維盛は弥左衛門が持ち帰った首というのは自分の家来だった主馬の小金吾であると語る。
・・・・・。
権太の貰った陣羽織は頼朝も使った品だと聞き、維盛は刀で陣羽織を裂こうとした。
ところが・・・その裏地の和歌(小野小町)がどうにも思わせぶりだ。不審に思い尚も陣羽織を改めると、中には袈裟衣と数珠が縫いこまれている。
実は・・・。
その昔、平家に捕まり殺される寸前だった頼朝を、清盛の継母「池の禅尼」が救ったことがある。
頼朝はその恩を忘れず、景時に「維盛を捕えて出家させよ」と命じていたのだった。
謀ったと思ったが、あっちがみな合点・・・と苦しみつつ悔やむ権太。
維盛は出家を決意し、髻を切ってこの場を発とうとする。
維盛にすがる内侍とお里だが、ふたりを退ける維盛。
「内侍は高雄の文覚の所へ行き六代のことを頼むのだ。お里は兄に代わって親に孝行せよ。」
弥左衛門も内侍と六代の供をするため、旅支度を始める。母はせめて権太を看取ってくれと頼むが「死んだを見ては一足も歩かるる物かいの」と嘆く弥左衛門。
そんな一家の様子を不憫に思いながらも維盛は高野山へと、内侍と六代、弥左衛門は高雄へとそれぞれ向う。
権太は、最期を迎えようとしていた。
義経千本桜【四段目】
道行初音旅:みちゆきはつねのたび
暫くは都にとどまっていた静御前。でも、やはり義経のことが恋しくて義経のもとへと向かうことにする。
義経は今、吉野にいるという噂だ。
木々の芽がほころぶ初春、女ひとりで吉野への道を行く。
・・・・・。
義経より預かった初音の鼓を打っていると、少し遅れて佐藤忠信が現れる。
忠信が義経より賜った鎧を出して敬うと、その上に鼓を置き義経の顔にみたてる静。この鎧を賜ったのも、兄継信の忠勤であると忠信は言い、話のついでに兄佐藤継信が屋島の戦いで能登守教経と戦って討死したことを物語り、思わず涙する。ふたたび歩む静と忠信主従は芦原峠を越え・・・。
吉野山の麓へと辿りついた。
蔵王堂の場
静と忠信は吉野山の蔵王堂近くにまで来ている。
そこで掃除をしている百姓たちにこの山の衆徒頭である河連法眼(かわつらほうげん)の館について聞き、法眼のもとへと道を急ぐ二人。
一方、蔵王堂では河連法眼が山科の法橋坊、梅本の鬼佐渡坊、返坂の薬医坊という荒法師たちを集めて評定を始める所だ。親類の鎌倉武士茨左衛門から届いた書状によると「頼朝に背いた九郎義経が大和にいるとの知らせが鎌倉に聞え、もしこの吉野山にいてそれを匿うようであれば、この山にある寺院をまとめて滅ぼす」とのこと。
義経に味方すべきかどうか。法眼はまず法橋坊たちの意向を聞く。すると法橋坊たちは口を揃えて「義経に味方する」という。そこに法橋坊に身を寄せる客僧、横川の覚範が遅れて現われる。これも大太刀を佩いた荒法師である。法眼が覚範に聞くと、やはり義経に味方するという。
・・・・・。
だが、法眼は義経に弓引くつもりだと皆に答える。
一山衆徒の頭として、義経を庇いこの山を危険に晒すわけにはいかぬ。それでも義経を庇おうというのなら、そのときは敵味方だ・・・と言い残し、法眼はその場を去った。
・・・・・。
実は法橋坊たちは、義経を殺すつもりだった。
義経に味方し匿っているという噂の河連法眼にカマをかけたのである。
※そんなの川連法眼はお見通しだ!
当てがはずれた・・・と残念がる法橋坊たちを覚範が笑う。
今の返答で法眼が自分たちを信用していないことがわかった、この上は義経を逃がさぬよう、今夜の内に河連法眼の館を襲撃するぞ・・・。
河連法眼館の場
義経は河連法眼の館に身を寄せていた。
蔵王堂の評定から法眼が自邸に戻る。
法眼は妻の飛鳥に「変心して義経を討つつもりだ」と言い、鎌倉からの茨左衛門の書状を飛鳥に読ませる。
飛鳥は茨左衛門の妹だ。
そんな夫の様子を見て飛鳥はその刀を奪い自害しようとする。法眼は義経を裏切るような人間ではない。自分が鎌倉武士の身内だから、義経のことを内通して知らせたと疑うのかと飛鳥は恨み嘆く。
すると法眼は茨の書状をずたずたに引き裂き、これも義経への忠節のためである、書状は引き裂いたすなわち疑いは晴れたから、安堵して自害を留まれ・・・と。
飛鳥も恨みを解く。義経も登場し法眼の厚意に感謝するのだった。
そこへ佐藤忠信がやってくる。
義経は忠信との再会を喜ぶが、静御前の姿が見えない。
静はどうしたのかと尋ねる義経に、忠信は不審そうな顔をした。
「自分は出羽から今戻ったばかりで、静御前の事は知らない」と。
これを聞き激怒する義経。
都から逃れるとき、伏見稲荷で忠信に静の身柄を預けたはずである。それをとぼけるとはさては自分を裏切り鎌倉に静を渡したのに違いない。不忠者の人でなしめ。
駿河次郎と亀井六郎を呼ぶ。駿河と亀井は忠信を捕らえようとし、わけがわからないという様子の忠信は刀を投げ出して、「両人待った」というまさにそのとき、なんとまた忠信が、静御前を伴いこの館に現われたとの知らせ。この場に居た者はみな仰天した。
この場にいた忠信が、今来たという忠信こそ偽者、捕まえて疑いを晴らそうと駆け出そうとするが、駿河と亀井はその身に疑いある以上は動かさぬと行く手を阻む。
やがて静御前が初音の鼓を持って義経たちの前に現われた。
義経との再会に嬉し涙をこぼす静。義経は静に、同道していた忠信のことについて聞く。静の供をしていたはずの忠信はいつの間にかいなくなっている。そういえば今目の前にいる忠信は、自分の供をしていた忠信とは違うようだと静はいう。だがその忠信が初音の鼓を打つと現われると聞いた義経は、それぞ詮議のよい手立てと、静に鼓を打つことを命じ、自らは奥へと、忠信は駿河と亀井に囲まれながらこれもその場を立ち退く。
ひとり残された静が初音の鼓を打つ。
するとまた忠信が現れた。鼓の音を聞いてうっとりする様子である。静は、遅かった忠信殿といいながら、隙を見て刀で切りつけようとする。
この忠信は「切らるる覚えかつて無し」と抗うが、鼓をかせに静に責められ、ついにその正体を白状する。
その昔、桓武天皇の御代のこと。天下が旱魃となって雨乞いをするため、大和の国の千年生きながらえているという雌狐と雄狐を狩り出し、その生皮を剥いで作った鼓を打つとたちまち雨が降りだした。その雌狐と雄狐の皮で作った鼓とは初音の鼓、自分はその鼓にされた狐の子だというのである。
この子狐は、皮となっても親たちのことを恋い慕っていたが、初音の鼓が義経に下されたのを知り、伏見稲荷で佐藤忠信に化け静の危機を救い、今日まで鼓を持つ静に付き従っていたのだという。
その心根に静は涙する。
義経も出てきてなお親を思う狐の心を憐れむが、本物の忠信にこれ以上迷惑はかけられないと、子狐は泣きながら姿を消してしまう。
義経は子狐を呼び戻そうと静に鼓を打たせたが、不思議なことにいくら打っても音が出なくなった。鼓にいまだ魂がこもり、親子の別れを悲しんでいるらしい。義経は、自分は幼少のころに父義朝とは死別れ、身寄りの無い鞍馬山で成長し、その後兄頼朝に仕えたが、これも憎まれ追われる今の身の上となった。この義経とこの狐、いずれも親兄弟との縁の薄さよと嘆く。
静も嘆く・・・とこの声を聞いたか、再び子狐こと源九郎狐が姿を現す。
義経は、静を今日まで守った功により、この鼓を与えるぞと手ずから初音の鼓を源九郎狐に与えた。
源九郎狐の喜びようはこの上もない。
源九郎狐はそのお礼にと、今宵悪法師たちが義経を討ちにこの館を襲うことを知らせ、鼓とともに姿を消すのであった。
本物の忠信が駿河亀井とともに出てきて、自らの潔白が明かされたことを喜んでいると法眼が駆けつけ、源九郎狐の言葉通り法師たちがこの館に攻め寄せてくるという。義経は自分に思う仔細ありといって静とともに奥へと入った。
やがて山科の法橋坊たちが館に来るが忠信たちや法眼に、また源九郎狐の幻術もあってみな取り押さえられてしまう。そこへ衣の下に鎧を着込み、薙刀を持った横川の覚範が来て法眼を呼ぶ。
「平家の大将能登守教経待て」と義経が声を掛けた。
横川の覚範とは世を忍ぶ仮の姿、実はこれも源平の戦いで入水したといわれた平教経だったのである。
義経は覚範こと教経と数度刃を交えると、いきなり逃げ出し奥へと入ってしまう。のがさじと教経は、奥へと踏み込んで一間の障子を開け放つと、そこにいたのは幼い安徳帝。驚く教経に安徳帝はこれまでのいきさつを語り、この上は母である建礼門院に会いたいと泣き伏す。
教経は安徳帝を己が住処に移そうと、抱き上げて立ち去ろうとするところに駿河と亀井、法眼がその前に立ちはだかり、互いににらみ合う。そこへ「ヤア待て汝ら粗忽すな」と烏帽子狩衣の礼装で現われた義経が、この場は安徳帝を見送り、勝負は教経を兄の仇とする佐藤忠信と後日に決すべしと、改めての決戦を互いに約して別れるのであった。
義経千本桜【五段目】
吉野山の場
雪のまだ残る吉野山で、佐藤忠信は覚範こと教経と決着をつけることになった。
鎌倉勢も攻め寄せるが忠信一人でそれらを退ける。教経が現われ忠信と激しい勝負となるが、忠信は教経に組み敷かれてしまう。ところがそこへもうひとり忠信が駆けつけ、教経に取り付いた。さしもの教経も仰天し振り払おうとすると、その忠信は義経の鎧に変じ、その隙を狙って組敷かれた忠信が教経に手を負わせる。源九郎狐が幻術を以って忠信を助けたのである。
そこへ義経が現われ、安徳帝は母である建礼門院のもとで出家を遂げたと告げると、川越太郎もやってきて藤原朝方を縛って引き出し、頼朝を討てという院宣はこの朝方の謀略であると顕れたので、その処分を義経に任せるとの後白河院の言葉を伝えた。平家追討の院宣もこの朝方のしわざと聞く、こいつを殺すのが一門への言い訳と、教経は朝方の首を打ち落とす。その教経は兄継信のかたきと佐藤忠信に討たれる。
平家はここにまさしく滅びたのであった。